秋のパリには妖精たちが集う。
その中で一人の男が
ISSEY MIYAKEのデザイナー
宮前義之氏。
届ける相手があってこそ服は成り立つ。
求道者。
パリコレへ。
どんな世界かは全く皆無。
師匠は三宅一生氏。
宮前氏はその場でリアルを表現する。
絵は描いたらその場で決まってしますのが怖い。
柔軟で変化していくものこそdesignの本質なのか。
彼は震災を通して、考え方がシフトした。
宮前氏のイメージはスタッフ曰く、
「笑顔の悪魔」
8月。京都の素材屋へ。
着色を老舗の染屋へ。
奥行きのあるものを描くとなると
日本の伝統的なものを活かさないてはない。
手軽なデジタルプリントとは違う何か。
何が違うのだろうか。
色合いか。奥行きか。雰囲気か。
人によって感じ方は違うけど
時代から何を求めているのかを抽出。
デザインはデザインから抽出するのではない。
見た目は意外と普通な青年だけど、
何かが違う。こだわり方が違う。
16歳パリへ。21歳で世界放浪へ。
18歳でISSEY MIYAKEの魅力の輪に。
パリコレの前に超えなければならない壁がある。
師匠三宅氏の壁だ。
否定ではなく、プロとしての批評。
ファッションはファンタジーの世界だと思っていたが
ファンタジーと現実を繋げるのがデザインでもあるのか??
長く着たい、憧れを抱くものこそファッションとして重要。
服を作るということは相手に届けるということだが
それを問うということもかなり重要なこと、質問力だ。
葛藤との戦い、自分に問う、相手に問う。
どうなんだろう?これでいいだろうか?
何が足りないだろうか。
こだわりがあるということ。
最後までゆずることはない。
一体化したもの、流れるようなもの。
それを15分で全部表現する。
そこに命を注ぐような。燃え尽くすような。
煮えたぎるもの感じる。
パリコレはその場で評価が決まる。
そして、終わればそこからスタートだ。
止まるわけにはいかない。芯が熱き者よ。
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